意志薄弱でありえない大蛇を呼ぶ。

24歳社会人2年目♀のブログです。

メロンパンをゴミ箱と一緒に燃やして泣き叫ぶ人について

会社のビルに入っているコンビニで売っている焼き立てパンが超美味しい。

ベーグルで巻かれたソーセージのパンとか、チョコチップメロンパンとか。前者は言わずもがな最高 of the 最高、美味しくならないわけがないのだが、チョコチップメロンパンを食べた時には驚いた。

さくさくのクッキー生地の中の、柔らかくふわふわの、ココア風味のパン生地。ほのかに甘く、ココアの香りがする。

幼少期はメロンパンのクッキー生地だけを食べて怒られていた私を、パン生地で感動させるなんて、あそこのパン屋はえらいな…と毎朝しみじみしている。

たくさん食べてしまうおかげで、ついにズボンが全体的にきつくなった気がするのは気のせいだと思いたい。1月から、ジムに通おう。

 

さて、あなたは食べ物のためにブチ切れたことはあるだろうか。例えば、メロンパンがしょっぱかった場合はどうだろう。

メロンパンを引き裂いて、ゴミ箱に放り込んだあと、思いつく限りの罵詈雑言を吐き捨てて、ゴミ箱ごと焼き尽くして、そのあと燃えカスの前で泣き喚いたりするだろうか。パン職人でもない限り、世間一般の大抵の人は、多分このようなことはしないはずだ。

そして、他人がこれをやっていたとして、その光景を目の前で見かけたら、そっと距離を置いて、見なかったことにするだろう。「ママー、あれなにー」「しっ! 見ちゃいけません!」の図式である。

 

だが、これが人間だったらどうだろう。

優しかったはずの恋人の反応が突然しょっぱくなった場合、一緒に撮った写真を切り裂いて、ゴミ箱に放り込んだあと、思いつく限りの罵詈雑言を吐き捨てて、ゴミ箱ごと焼き尽くして、そのあと燃えカスの前で泣き喚いたりするんじゃないだろうか。実際には危ないからゴミ箱は燃やさないだろうが、そんな気持ちになったことがある人はそれなりにいる気がする。

そして、他人がこれをやっていたとして、その光景を目の前で見かけたら、メロンパンのときとは違って、そっと相手に寄り添って、「よしよし、辛かったね」と慰めたりするんだろう。

 

メロンパンは美味しくなくても、すぐにポイできるけど、人間が美味しくなくなったとして、すぐにポイをするのは難しいらしい。

全く妙な話だと私は思っている。両方とも「自分にとっての理想ではなくなった」という事実は変わらないのに、この差は一体なんなのだろうか。

 

さほど想像に難くないと思うのだが、これは「期待の度合い」だと思われる。つまり、「メロンパンへの期待<人間への期待」なのだ。

しかし、メロンパンは自立歩行をしないし、自律思考をしない。どんなに期待をしても、重いと感じないのだ。期待するには絶好の相手である。相手を苦しめることは絶対にない。素敵だ。

それに対して、人間は(おおよその場合)自立歩行をすれば、(おおよその場合)自律思考をする。自我がある。自分がある。そのある個人について、期待して、裏切られたらわんわんと喚くのは、どうも非効率的に思えるし、相手の人生への敬意に欠ける気がしている。

 

相手の自我について考えたことはあるだろうか。そして自分の自我について考えたことはあるだろうか。

相手には自我がある。相手が生きているのは、私の人生ではなく、相手の人生だ。いつなにをしようと、相手の自由であり、それが私にとって良いか悪いかをもって、相手を判断するなど、相手への人生へのリスペクトが足りない。と、私は思っている。

相手の行動を否定したくなったそのとき、自分が「相手も人間で、なおかつ独立した他人だ」ということを理解しているか、もう一度確認したほうがいい。

 

という話を、同期の「自称・他称共に、ものすごく過度に人間に期待しちゃう系女子」にした。

その同期から相談を受けた内容は、「彼氏の行動にイラッとしたとき、どうしてもすごく腹が立って辛い。何があっても飄々としている雁ヶ音ちゃんの意見を聞かせて欲しい」であった。その答えがあれだ。

「ほんと私の彼氏に似てて腹立つ!! 参考にはなるけど、腹立つ!!」とぷんぷんされた。

 

そういうとこなんだけど、うん、そういうのも、かわいくて良いと思うよ。

なぜならあなたも、他人だから。